みんな薄々感じていた「エヴァ」と「進撃の巨人」の相似点を庵野監督自身が語った

投稿者: | 2014年11月3日

 

庵野秀明「エヴァ」幻の劇場版企画「進撃の巨人」そっくりだった【第27回東京国際映画祭】」という記事で、10月27日に開催された第27回東京国際映画祭特集上映「庵野秀明の世界」内プログラム『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に』上映後のトークショーで庵野秀明が幻の「エヴァ」劇場版の構想について語ったことが記されている。

 

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記事ではまず、劇場版の幻となった作品について……

 

どのような経緯で「幻」となったのかについて言及。

 

1997年に公開された旧劇場版について庵野は、「劇場版の幹事会社に入っていた角川さんに説明するとき、劇場は2種類作らせてくださいと言ったんです」と述懐。もともと庵野が意図していたのは、テレビ版の25話と26話を作り直したものを1本、そして「(超時空要塞)マクロスの劇場版のように、テレビの世界観を捨てて、リライトして2時間で終わるようなエヴァンゲリオンを作る」ことを目的とした完全新作がもう1本だった。しかし、庵野が精神的、体力的な限界を迎えてしまい、「完全新作の劇場版は角川さんに頭を下げてなかったことにしてもらった」という。

 

つまり、「幻」のほうは、完全新作となる予定だった。

 

それでも庵野は、新作のプロットだけは書き上げていたといい「もう言ってもいいかもしれないけど、そのプロットが『進撃の巨人』にそっくりだったんですよ」と明かした。その内容を「人類はほとんど滅びて、こもっているんですよ。そこに橋が1本あって、その橋でしか外に出られない。そこの壁はATフィールドに守られている。そこから外に出ると使徒が来るというもの」と解説。

さらに「そしてテレビでできなかったのが人を食うということ。人間にとって一番怖いのは何かといえば、食われることですから。そしてその使徒に対抗するのはエヴァだけなんです。それもエントリープラグではなく、直接、腹の中に子供を埋め込んで、毎回摘出手術をする。さらにそれにはタイムリミットがあって、早く帝王切開をしないと人ではなくなり使徒になってしまう」と付け加えた。「だから初めて『進撃の巨人』を読んだときは『あ、そっくり!』と思いました」と驚いた様子を見せていた。(取材・文:壬生智裕)

 

庵野秀明のテーマは「破壊」であると感じているのだが、人類にとっての「破壊」は、外に向かう力としては「戦争」であり、うちに向かう力としては「人食」に行き着くことは、当然だったのかもしれない。

 

もちろんそれがタブーであることで、どのように表現するか(回避も含めて)悩んだ末の「頭を下げてなかったことに」だったのかもしれない。

 

それが「進撃の巨人」では表現されてしまった。

 

「人食」に行き着くことが当然であれば、庵野監督にのみ降りたアイデアではなく、彼がその先陣を切るチャンスを自ら逃したのであることは誰よりも自分がわかっているはず。

 

それだけに悔しさも100倍だから、「エヴァについて多くは語らない」と公言している庵野監督があえて言及したのかもしれない。

 

タブーが消えてから、また「エヴァ」は違う「破壊」へのアプローチにたどり着けるのだろうか。