人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀が亡くなられました

投稿者: | 2016年10月8日

 

訃報です。

吉田文雀さんは女形遣いとして活躍された人形浄瑠璃文楽の人形遣い。享年は88歳でした。

人形浄瑠璃の“生き字引”と言われるほどの博識を誇っていたそうです。その喪失は文楽にとってとても大きいものになるでしょう。

 

 

 人形浄瑠璃文楽の人形遣いで人間国宝の吉田文雀(よしだ・ぶんじゃく、本名・塚本和男=つかもと・かずお)さんが20日、心静止のため死去した。88歳。通夜は23日午後7時、葬儀は24日午前11時半、兵庫県西宮市城ケ堀町1の40の公益社西宮山手会館。喪主は長男宏(ひろし)さん。

1945年に入門し、二代目吉田玉市の預かり弟子として吉田和夫と名乗って初舞台を踏んだ。50年に三代目吉田文五郎の門下となり、文雀と改名。主に女形遣いとして活躍し、見かけの派手さより、徹底した解釈と役の内面を重視した合理的な遣いぶりを見せた。品と格調のある舞台は多くのファンを魅了した。

芸域は広く、立ち役(男役)や敵役もこなしたが、特に老(ふけ)女形(おやま)で高く評価された。代表作は「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬、「心中天網島」のおさん、「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の覚寿(かくじゅ)など。

「文楽博士」と呼ばれるほど博識で、舞台に用いる人形の首(かしら)を決める役割を長年務めた。文楽以外の古典芸能の故実にも詳しく、上方芸能の伝統を支える存在だった。監修・解説を手がけた本に「文楽のかしら」がある。88年に芸術選奨文部大臣賞、91年に紫綬褒章、94年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

高齢などを理由に今年3月、引退を表明。昨年1月の大阪・国立文楽劇場、初春公演で「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」の関寺小町を遣ったのが最後の舞台となった。

引用:毎日新聞 2016年8月21日