人間国宝の吉田簑助さんが語る伎楽面「崑崙」の魅力

投稿者: | 2014年11月4日

 

奈良国立博物館で2014年10月24日(金)から11月12日(水)まで開催されている第66回正倉院展のサイトに、来館した文楽人形遣いの吉田簑助さんが伎楽面「崑崙」を閲覧した感想をまとめたものがアップされていました。

 

IMG_1550

 

崑崙というのは……

 

重要文化財指定の木製のお面。

伎楽面 崑崙

 

Wikipediaで「伎楽(ぎがく)」を引いてみると、「伎楽(ぎがく)は、日本の伝統演劇のひとつ。日本書紀によれば、推古天皇20年(612年)、推古天皇の時代に百済人味摩之(みまし)によって中国南部の呉から伝えられたという。奈良時代の大仏開眼供養(天平勝宝4年(752年))でも上演され、正倉院には、その時使用されたと思われる伎楽面が残されている。行道という一種のパレードと、滑稽味をおびた無言劇で構成され、飛鳥時代から奈良時代に寺院の法会でさかんに上演されたが、次第に衰退した。」とあります。

 

奈良時代の大仏開眼供養で上演された際に使用された伎楽面というのが、この崑崙というわけです。

 

 伎楽面(ぎがくめん)「崑崙(こんろん)」は半人半獣の面だと聞いていましたので、もっと強面(こわもて)かと思っていましたが、耳の形がリスみたいで、意外に愛嬌(あいきょう)がありました。

飛鳥時代、大陸から日本に伝わってきた伎楽は、寺院の法要や、外国使節をもてなす席で上演された劇だそうです。

このお面は、1300年近く前、東大寺の大仏開眼会(え)の際に使われたものだとか。じっと見つめていると、開眼会に集った人々のさざめきが聞こえてくるような気がします。

正倉院展で見ることができる宝物は、言うまでもなくスペシャル中のスペシャル。一つひとつに宿った物語に思いをはせると、人間の一生の何と短いことかと今更ながら感じます。

私が遣う人形の芸も、舞台で演じるそばから消えていくもの。だからこそ、これからも一回一回の舞台を大切に、演じていきたいと思っています。

悪役だけどユーモラス

伎楽では、崑崙(こんろん)が美しくしとやかな呉女ごじょに恋をします。そして、けしからぬ行為を見せつけて彼女を困らせ、それを見ていた力士によって懲らしめられたと聞きました。悪役だけれども、ユーモラスな存在として、親しまれてきたのでしょう。

伎楽が上演されていた奈良時代にはすでに、言葉やセリフを介さずに伝えることができる「笑い」を取り入れていたのですね。そんな先人たちに、親しみを感じます。

文楽にも「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし) 笑い薬の段」の萩野祐仙(はぎのゆうせん)や「仮名手本忠臣蔵」の鷺坂(さぎさか)伴内、「菅原伝授手習鑑(かがみ)」の宿禰(すくね)太郎など、滑稽な振る舞いをしたり、鼻の下が長かったりと、憎めない敵役が色々います。文楽では「チャリ場」と言いますが、古典芸能では観客がほっとひと息つけるような、おかしみのある場面が、やはり必要です。

伎楽の時代から何百年もの時を経て、江戸時代に生まれた人形浄瑠璃のかしら(人形の頭部)は当然、日本人の顔立ちをしているものがほとんど。それでも、演目によっては大陸の人物も出てきます。

例えば、近松門左衛門作の「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」には中国の武将、五常軍甘輝(ごじょうぐんかんき)が登場します。この武将の人形が身に着けている刀は、正倉院展に出展されている楽舞用の「破陣楽大刀(はじんらくのたち)」に似た刀ですし、履物も、聖武天皇が履いたとされる靴「衲御礼履(のうのごらいり)」と同じようなものです。

ですから、正倉院展の会場で宝物を見ていると、まるで文楽の小道具を見ているような感覚にもなりました。(聞き手・森重達裕)

http://www.yomiuri.co.jp/shosoin/2014/feature/20141028-OYT8T50230.html

 

演じ手ならではの、舞台側から客席を見る視点で面を感じているようすが伝わってくる感想ではないでしょうか。