訃報です。9代目の竹本源大夫さんが亡くなられました。享年83歳。
ご冥福をお祈りします。
人形浄瑠璃文楽の大夫で人間国宝の竹本源大夫(たけもと・げんだゆう、本名・尾崎忠男=おざき・ただお)さんが20日、心不全のため死去した。83歳だった。通夜は21日午後6時、葬儀は22日午後1時、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115の同市立やすらぎ天空館。喪主は長男の文楽三味線、鶴沢藤蔵(つるざわ・とうぞう)さん。
1932年、大阪市生まれ。46年に四代目竹本織大夫(おりたゆう、後の八代目竹本綱大夫=つなたゆう)に入門し、織の大夫を名乗って初舞台。63年、五代目織大夫を襲名し、94年には大夫の最高位の「切場語り」に。96年、九代目綱大夫を襲名した。
「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」の「実盛物語」など豪快な時代物を語る一方で、きめ細かい世話物も得意とし、特に「心中宵庚申(よいごうしん)」の「上田村」、「冥途(めいど)の飛脚」の「封印切」など近松物で第一人者の評価を得た。博識で資料の収集や研究にも力を注ぎ、上演がまれな作品も継承。著書に「織大夫夜話」がある。
2007年に人間国宝に認定され、11年4月、祖父の名跡「竹本源大夫」を九代目として襲名。長男の鶴沢清二郎さんも、源大夫さんの父で、自身の祖父にあたる「鶴沢藤蔵」の名跡を二代目として襲名し、親子同時襲名として話題になった。
病気療養中の14年7月に引退を表明。長年の功績により同年度国立劇場文楽賞の特別賞を受賞し、今年4月、大阪・国立文楽劇場の舞台上であった贈賞式で笑顔を見せていた。
文楽大夫で人間国宝の竹本住大夫さんの話 源大夫さんは僕より8歳年下ですが、戦後、お互いの師匠に入門したのが同じ日で、同期でした。14歳から大夫をしていたので覚えが早く、間が良うて、近松物の勉強もよくしていました。近年体力が十分でなく、引退の公演ができなかったのがさぞ心残りだっただろうと思います。昔の芸の話ができる相手でした。寂しいです。
演劇評論家の権藤芳一さんの話 若い頃から近松物に着目して埋もれた演目の復活や継承に努め、時代物も本をしっかり読み込んで語った。まっすぐで着実な芸でした。
人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、人間国宝の竹本源大夫さんが、20日朝、心不全のため大阪市内の病院で亡くなりました。83歳でした。
竹本源大夫さんは昭和7年、大阪市で生まれ、祖父の代から4代にわたって文楽の語り手「太夫」と三味線を交互に務める家系で、幼いころから義太夫節に親しみました。
戦後文楽を代表する名人と言われた八代竹本綱大夫に14歳で入門して修行を始め、昭和21年に初舞台、昭和38年に竹本織大夫の名跡を襲名しました。
平成6年には文楽の太夫としては最高の位で物語の重要な場面を語る「切場語り」となり、平成8年には師匠の名・綱大夫を襲名、平成23年には太夫だった祖父の名跡・源大夫を襲名しました。
重厚な語り口で聴かせる時代物を得意とする一方で、「曽根崎心中」など近松門左衛門の作品を伝承する第一人者として高く評価され、平成19年には人間国宝に認定、平成21年には旭日小綬章を受章しています。
源大夫さんの相三味線は息子の鶴澤藤蔵さんが務めており、親子で息の合った義太夫節も話題でした。
源大夫さんは体調を崩して、おととし5月の東京公演のあとは休演し、去年7月に引退を表明していました。