2014年の引退興行を追ったドキュメンタリー番組で、その芸の一端に触れることができた人間国宝の太夫、竹本住太夫さんが亡くなられました。ご冥福をお祈りします。
人形浄瑠璃文楽の太夫で文化勲章受章者、人間国宝の竹本住太夫(たけもと・すみたゆう、本名・岸本欣一=きしもと・きんいち)さんが28日、肺炎のため死去した。93歳。通夜は30日午後6時、葬儀は5月1日午後0時半、大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115の大阪市立やすらぎ天空館。喪主は妻光子(みつこ)さん。
幼い頃から養父の六代目竹本住太夫(人間国宝)の稽古(けいこ)を受け、1946年、二代目豊竹古靱太夫(こうつぼだゆう)(後の豊竹山城少掾=とよたけやましろのしょうじょう)に入門。豊竹古住太夫(こすみたゆう)を名乗り、同年8月、四ツ橋文楽座で「勧進帳」の番卒(番兵)を語り初舞台。文楽が2派に分裂した上、興業的に厳しかった戦後の苦しい時期を生き抜き、修業を続けた。60年1月、九代目竹本文字太夫を襲名。81年に文楽太夫の最高位である切場(きりば)語りになり、85年4月、大阪・国立文楽劇場で「逆櫓(さかろ)」を語り七代目住太夫を襲名した。
89年に重要無形文化財保持者(人間国宝)となり、2002年に芸術院会員、04年に毎日芸術賞受賞。14年には文楽界で初の文化勲章を受章した。12年7月に脳梗塞(こうそく)で倒れた後も熱心にリハビリに取り組み、13年1月に舞台復帰。14年2月、自らの芸に納得がいかないことが増えたとして引退を表明。同年4月の大阪、5月の東京公演を最後に89歳で現役を退いた。
稽古熱心で知られ、精緻で情にあふれた語りに定評があった。90歳近くまで活躍を続けた文楽太夫は例がない。時代物、世話物と芸域は幅広く、特に庶民のドラマを描く世話物での味わいに本領を見せた。先代である父が得意とした、滑稽(こっけい)な「チャリ場」の芸も受け継ぎ、近松物も滋味豊かな語りで魅了した。代表作は「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」の「沼津」、「新版歌祭文」の「野崎村」など。