安乗人形芝居もまた、各地に残る文楽のひとつ。 安乗人形芝居については…
こちらを参照。
安乗の人形芝居 – Wikipedia 安乗の人形芝居(あのりにんぎょうしばい)は、三重県志摩市阿児町安乗に伝わる人形芝居(人形浄瑠璃)。安乗文楽(あのりぶんらく)とも称する。伝承団体は「安乗文楽人形芝居保存会」[1]。 1978年1月31 …
安乗の人形芝居(あのりにんぎょうしばい)は、三重県志摩市阿児町安乗に伝わる人形芝居(人形浄瑠璃)。安乗文楽(あのりぶんらく)とも称する。伝承団体は「安乗文楽人形芝居保存会」。 1978年1月31日に重要無形民俗文化財に指定された。口伝によれば、朝鮮出兵の折に八幡神社(現・安乗神社)を参拝した九鬼嘉隆を村人がもてなすために披露した手踊りに起源が求められるという。芝居小屋は、安政7年(1860年)の建築で日本で3つしか現存しない船底形舞台の1つである。
開催についての情報はこちらが参考になる。
国の重要無形民俗文化財 「安乗人形芝居」/志摩市観光協会 【安乗の人形芝居の背景】 文禄元年、豊臣秀吉が企てた文禄の役に参加する際 志摩の国の国主九鬼嘉隆が畔乗沖にさしかかると急に船が止まってしまった。 嘉隆が安乗神社に参拝し戦勝を祈願したところ風向きが変わ …
【安乗の人形芝居の背景】 文禄元年、豊臣秀吉が企てた文禄の役に参加する際、志摩の国の国主九鬼嘉隆が畔乗沖にさしかかると急に船が止まってしまった。 嘉隆が安乗神社に参拝し戦勝を祈願したところ風向きが変わり、船は追風に乗って無事出航する事ができ戦役で武功をたて、再び安乗神社に御礼参りに訪れ人形芝居を許した。 当初は礼儀的な三番叟を舞って奉納し、漁船や入港する船の海上安全を祈ったものと推測される。 しかし農漁業の不況や戦争により約4半世紀近く中絶されたが、大阪文楽座の吉田文五郎一座が来訪し神社の舞台で人形芝居を上演・奉納したのを機に復活の気運が高まり、その後指導・練習を経て技術修得の成果として昭和25年初午の祝いに初めて披露し甦った。
祭礼に先立って、「8月23日・24日に伊勢志摩で開催された「第61回日本PTA全国研究大会」の初日、阿児アリーナ(志摩市阿児町)で行われた第9分科会のアトラクションとして安乗小学校4~6年の児童36人が人形劇「勧進帳」を披露し大会を盛り上げた。」と報じる記事を読んだ。
志摩の文楽「安乗人形芝居」-全国大会アトラクションで引っ張りだこに – 伊勢志摩経済新聞
これは、Wikipediaが「地元の志摩市立安乗中学校には「安乗文楽人形クラブ」があり、この祭礼で日ごろの練習の成果を披露し、中学生のみで1つの演目を演じる」と記述しているものよりもさらに当地で安乗人形芝居の保存活動が進められていることを示すものだろう。